人生裁判

裁判官、検察、弁護士、そして被告人。

肉体の使用期限が尽きると皆公平に裁判を受ける事になります。

天国に行く者と地獄に落ちる者。

その人が人生において何をして何を考えてきたのか初めから終わりまで、きっちり取り調べを受けた後、自分の行くべき道を示されます。

それ故に人間は全ての人に肉体が与えられ、肉体の使用期限が尽きるまでは霊的な存在は一切何も見えなくさせられるのです。

ただ見えてはいないのですが、あなたの罪を告発する者、つまり悪い霊はあなたをつぶさに観察してあなたの内在する罪を顕在化させようと日々余念がありません。

しかし、弁護する方は肉体を持って生きた経験がある方なので肉体を持つ苦しみを理解する事ができます。

だから報われぬ境遇に生まれてきた人、知能や運動能力や外貌にハンデを負って苦しんできた人の気持ちを弁護する事ができるのです。

しかし、どうでしょう。

逆にこの世において全てに恵まれてきた人達にとっては何の情状酌量の余地がないと判断されかねない。という事にもならないでしょうか?

自発的に善業を施して裁判官の心証を良くしておく必要があるとも言えると思います。

世において恵まれた者がその身分に傲慢にならずに率先して善業を成すというのは結構なハードルとも言えなくはないでしょうか。

そう考えてみるとどちらが恵まれているのか分からなくなります。

そんなのは弱者の逃避的思考だと思いますか?

しかしそう考える人にも必ず死が訪れ裁きを行う方に会う事になるのです。

誰も死から逃れられないように裁きからも逃れられないのです。

この世の財産も地位も名誉も権力も全て取り去られます。

どうしたら良いか考えておいた方が良さそうです。

 

ヘブライ人への手紙 4:12

神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃よりも鋭く精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほど刺し通して、心の思いや考えを見分ける事ができます。

更に神の御前では隠れた被造物は一つもなく、全ての物が神の目には裸であり、さらけ出されているのです。

この神に対して私たちは自分のことを申し述べねばなりません。