自殺は有りか?無しか?

どうですか?

道徳的な理由で自殺がダメな理由もいくら考えてみたところで、例えば家族や他人に迷惑がかかるとか、多分そのくらいしかダメな理由は見当たらないのが本当のところだと思います。

本人がもうこんな世の中嫌だ!逃げ出したい!と、その苦しみがマックス達している人に思い留まらせる言葉は多分ないでしょう。

しかし、これは死後の世界が存在しない。という前提での話です。

死んだ後が(無)であるならば早く死のうが100まで生きようが無でしかない。

と、いう事になりますよね?

結果が同じなら早く終わらせたって良いんじゃないかという考え方にもなります。

 

じゃあ終わりじゃなかったら?

 

終わりじゃなかったらどうしますか?

死んだ後の世界が存在するなら、今この世に生きている意味は有るという事になりはしませんか?

死んだ後の世界と今生きてるこの世の世界が同じなら、創造主があえて世界を分ける必要はなかったはずです。

この世に存在する意味があるなら、今我々がこの世界に生きている意味もあるはずです。

それはお金持ちになる事でも、地位や名誉を築く事でもありません。

何故なら死んだ後の世界にそれらの物は何一つ持っていける訳ではないからです。

何でそういう構造になっているのか考えて見ると生きている意味が見いだせるかもしれません。

 

ヨハネの手紙一 2:14-17

世も世にあるものも、愛してはなりません。世を愛する人がいれば、御父の愛はその人の内にありません。 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、見栄を張った生活は、御父から出たものではなく、世から出たものだからです。 世も、世の欲も、過ぎ去ります。しかし、神の御心を行う者は、永遠にとどまります。